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高校生よ、英語は点数だけじゃない

外国語なんかいらない。そう思ったのは中学生の僕だった。興味があって入った日本語の授業なのに、やっていくうちに興味がだんだん薄れていって、最後に「こんなのは何の役に立たない」とやめてしまった。日本に住んで日本語で生活している今の僕からすると笑える話だ。当然のこと、今の僕にとって日本語は必要不可欠であり、これ以上ないくらい役に立っている。

 

とはいえ、それは僕が日本に住んでいるから、という話だ。「別に海外に住む予定なんかないし、仕事も日本の企業でいい」と思っているなら、外国語を勉強する必要性が薄く見えるかもしれない。でも、僕の場合、日本に住み日本で働いているという生活を送っているから日本語が役に立つのではなく、日本語ができるから今の生活があるのだ。もし日本語を勉強しなかったら、今の生活はありえないし、仮に日本に住んでいたとしても今の仕事もできなかったり、沢山の人との出会いもなかったりして全く違う生活を送っていたに違いない。そう考えると、日本語は本当に僕の人生を変えたのだ。感謝してもし切れない思いだ。でも、外国語なんか何の役に立たないと思っていた中学生の僕はまだ言語の価値に気付いていなかった。

 

僕が日本語を勉強し始めたのは、6年前に日本に来てからだ。来た時は簡単な自己紹介ができるくらいでほぼ日本語ゼロに近い状態だった。仕事は英語だったので得に心配はなかったけれど、個人生活になると、お店での注文ですら難しい状態で苦労していたことをよく覚えている。でも、辛い思いをする一方で、妙な感覚が僕の中に芽生えてきた。

 

好奇心だ。

 

新しい環境に住んでいるわけだから外に出るだけでまるで旅に出ているようなもので最初の一年は確かに旅行の気分で生活していたかもしれない。でも、旅と違って実際に住んでいるわけだからそれに伴う困難が必ずある。言葉を知らない国ではなかなか文化に慣れず、仕事以外に自分の居場所も作りにくい。言葉の壁というのは、こういうことだ。単純に伝わらないだけではなく、伝わらないことによって孤独になってしまうなどもっと大きな影響があるはずだ。ちょっと話が重くなってしまったが、言いたいのは、自ら住んでいる日本に対して部外者のように感じたところでより社会に入り込む決心をした。そのために日本語を勉強することは避けて通らないものだ。

 

はっきり言うと、日本人につなぐことは僕の日本語を勉強するモチベーションだ。勉強し始めた当初もそうだし、今も変わらない。新しい人と出会い、友達を作り、よりこの国のことを知り、社会に貢献する。そう想うようになると、そこまで学校と変わらない「勉強」にしか見えなかった日本語の勉強がめちゃくちゃ楽しくなった。やりがいを見出すとはこういうことだろう。

 

中学校で始めて日本語を勉強した時に日本語はただ点数を取るためのものでしかなかった。特に話せるようになりたいとか、日本語を使って何かをしたいという欲はなかったし、その結果勉強に身が入らなかった。でも、日本に来て日本語が人とつながる手段だと分かった時に日本語の実用性や言語の価値が分かった。

 

学校では、良くも悪くも英語が採点される。仮に話せたとしても点数がよくないと大学受験に対して何の役に立たないよね。それはとても残念だと思う。でも、それは現状で、その中でやるしかない。だから、テストの勉強をしつつも、そこに偏り過ぎないように英語の面白さにも気づいてほしい。英語を通して日本と違う文化に触れることもできるし、新しい出会いも待っている。なにより、英語を話す人は世界の大半を占めているだけに情報量がはんぱない。

 

英語の勉強は勉強のための勉強になっていないか?英語を勉強することによって新しいものが手に入る。英語は学校の科目ではなく、人とつなぐ最高の道具だ。

 

次回は、僕が日本を勉強した時の勉強法について話してみたいと思う!